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豊橋市は東三河の中心都市です。人口は愛知県下で5番目だそうです。
江戸時代は吉田藩と呼ばれ(約7万石)、吉田城がありました。
また、東海道53次吉田宿として栄えました。

JR豊橋駅は近代的な駅です。駅構内にはショッピングモールもあります。

豊橋駅

豊橋駅構内にあるショッピングモールのカルミアの入口です。

豊橋駅構内カルミア

豊橋市は路面電車が走っています。。市内中心部を走っているのでとても便利です。
1日乗車券(500円)をを買いました。1回の乗車賃は180円です。
毎回書きますが、僕は路面電車の走っている街が大好きです。全国の路面電車に乗ってみたいです。

豊橋駅前の路面電車電停

最初に「札木」(ふだぎ)という電停で電車を降りて、停留所の近くにある「本陣跡」に行きました。
停留所の前の東西に走る道は旧東海道なので、標識が出ていました。

東海道の標識

旧東海道の北側の道沿いに吉田宿の本陣跡がありました。

今は鰻屋さんになっていました。

本陣跡の鰻屋さん

ここから数分歩いて、豊橋公園に行きました。路面電車の電停は「市役所前」になりますが、今回は歩いて行きました。(大きな交差点を越えるだけなので)
この公園の中に吉田城址があります。
豊橋公園の入口には国の登録有形文化財になっている豊橋市公会堂がありました。

豊橋市公会堂

パンフレットによると、昭和6年ロマネスク様式で建設されたと書いてありました。
ロマネスク様式を調べると、11世紀から12世紀にかけてヨーロッパで広まった様式で、装飾性よりも質実剛健を主とした建物らしいです。
堂々とした立派な建物でした。
昭和初期の豊橋の繁栄ぶりがわかります。

建物のドームの前に置かれているものと同じ、シンボルの鷲が横に置いてありました。

石を彫った鷲

豊橋市公会堂の東側に国の重要文化財に指定されている豊橋ハリストス正教会がありました。
パンフレットにはビサンチン様式と書いてありました。主に東欧で発展した様式のようです。
遠くからは石材かコンクリートで造られているように見えますが、近くで見ると木造建築でした。
大正2年地元の工務店が建設したそうです。当時の日本の大工さんは、西洋式の建物を木造で建ててしまうすごい技術があったことがわかります。窓の周りの装飾と、全体ののバランスがとても美しい建物でした。
今も現役で使われているようで、人が中に集まっていました。

豊橋ハリストス正教会

豊橋公園の中に入ると、豊橋美術博物館がありました。
手塚治展をやっていました。

豊橋市美術博物館

公園の中の木立がきれいでした。

豊橋公園

吉田城の鉄櫓という天守の代わりをしていた櫓を目指しました。
鉄櫓の手前にが残っていました。

吉田城・堀

堀を超えると本丸跡の広場と鉄櫓がありました。

鉄櫓

周りは石垣が残っていました。

本丸跡を囲む石垣

石垣も階段も、とても古そうでしたので、「今は昔」感がかなりありました。
築城は1505年とパンフレットに書いてありました。
刻印のある石には目印が付いていました。

古い石垣と階段

鉄櫓の石垣は400年くらい昔の池田輝政公が城主をしていた頃のものだそうです。
この石垣のすぐ下に豊川が流れているので、豊川を堀の代わりにしていたのではないかと思いました。

鉄櫓の石垣(北側)

ばらばらな大きさの石が積んでありましたので、野面積みの乱積みだと思いました。

次に、豊橋公園の隣にある豊橋市役所の13階にある「豊橋天筒花火体験パーク」に行きました。

東三河地方の祭りでは、ほとんど地域で夜に手筒花火をやることで有名です。
僕は手筒花火を祭り見物の時に何回か見たことがありますが、舞い上がる火の粉の下に立つ男達はすごいと思いました。
手筒花火を見ると、戦国時代に最強と言われた三河武士のなごりを感じてしまいます。
そして、手筒花火を抱えている若者達が「三河武士、ここに有り!」と叫んでいるような、迫力と男らしさを感じることができる祭りです。

実物大の写真で紹介されていました

手筒花火の実物半纏が展示されていました。

半纏は刺子で作られていて、さすがに丈夫なものでした。

豊橋市は文化財に指定されている貴重な建物や、歴史的に重要なものがいろいろと残っていました。
街の中心にある大きな公園が城址にもなっていて、とても整備されていました。
路面電車もあって、何度も行きたくなるいい街でした。

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