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前回、小諸市のことを書いたので「千曲川のスケッチ」を読みました。
島崎藤村が小諸義塾の教師として6年間小諸に住み、その時の様子を書いたのが「千曲川のスケッチ」です。僕も小諸を旅して人情が魅力的な町だと思いましたので、その秘密がわかるかもしれないという期待を持って読みました。

明治32年に島崎藤村は教師として小諸に移住しました。ここで、見聞きしたことが春、夏、秋、冬、そしてまた春を迎えるまでが書かれています。発表されたのは明治44年です。

明治時代の東京の話でも、人々の様子が今と違って面白いのに、「千曲川のスケッチ」は長野県の山に囲まれた城下町を描いたことで、同時代に夏目漱石が書いた、東京が舞台のエッセイ的な小説「吾輩は猫である」とは異なる情緒が表現されることになったと思いました。

小諸のある東信地方の当時は11月から雪が降りだし、冬が5ヶ月も続く所であったよです。
春から秋にかけて山、川、田畑は輝き、雪を被ったアルプスがが美しく見えることや、素朴な町の暮らしが写生されていました。
また、7月の祇園祭の様子も丁寧に情緒深く書かれていました。

そして、厳しい気候と作物の作りにくい土地が育んだ、小諸人の人情の描写が印象深く心に残る本でした。                  

「小諸観光局」のホームページに記載されている小諸人の紹介が、100年以上前に書かれた「千曲川のスケッチ」とあまり変わっていないので、ここで一部を紹介したいと思います。

【小諸の第一印象はすごくフレンドリーでないかもしれません。それでも「表面は無愛想でも、実は、親切を貴ぶ」と島崎藤村が記すこの小諸人に出会い、お付き合い下されば、いわゆる「おもてなし」というサービスとは異なる居心地の良さや温かさをもった、どこか憎み切れない小諸人を感じていただけると思います。心の距離が近くになるにつれ、小諸人は長く、そして、熱く語るようになります。】

僕が小諸で出会った、そば屋の夫婦、道案内してくれたおじさんや若い女性はまさにこの様な人達だったと思います。明治時代の初期に、多くの欧米人が日本に来て感じた日本人の印象と似ていると感じました。令和の時代、小諸人は町に残る文化財と同じように無形文化財かもしれないと思いました。
それにしても、観光ホームページにこれ程「人」について書くのは珍しくて、やっぱり小諸に来た人が小諸人の暖かさに魅了され続けているという実感があるのだろうなと思いました。

島崎藤村「千曲川のスケッチ」(amazon)

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投稿者

あまざけ

還暦過ぎのおじさんです。銀婚式は過ぎました。

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