image_pdfimage_print
矢野直美著(北海道新聞社)

著者の矢野直美さんは「ゆれて ながれて であう 幸せな瞬間」をテーマに鉄道の写真を撮り、文章を書いている女性です。酒井順子さんと同じように、やわらかい視線で鉄道と向き合っている感じが読んでいて心地いいです。

取り上げているのは、「トロッコ列車」「路面電車」「SL機関車」「美しい車窓のローカル線」「特徴的な駅舎」などです。
特に面白かったものを書いてみます。

青森県・津軽鉄道「鈴虫列車」は社内にスズムシの入った虫かごが置かれているようです。スズムシの「リィリーン」という鳴き声を聞きながら窓の外に目をやると、黄金色の稲穂や、真っ赤なリンゴ畑を見ることができると書いています。季節は9月後半から10月にかけてです。
お客さんにスズムシの鳴き声を聴いてもらうことを、よくぞ考えたものだと思います。ちなみにスズムシは、社員たちによって大切に育てられているスズムシらしいです。

千葉県・いずみ鉄道は春になると沿線の半分以上に植えられた菜の花に包まれるそうです。
矢野さんが下車した夕暮れの総元駅では、黄色い菜の花が西日をあびて金色に輝く光景に見とれたそうです。
菜の花は社員の人達が種をまき、肥料を入れ、開花の後は翌年のために種を収穫する作業を繰り返しているようです。その様なローカル線ならではの努力によって、乗客は春を楽しめるようになったのです。

岐阜県・明知鉄道食堂車付急行列車を走らせています。地元特産の「寒天列車」をはじめ、春の「山菜列車」、秋の「きのこ列車」、冬の「じねんじょ列車」と季節によってメニューを変えて走っているそうです。岐阜県は山の多いところなので、山の味覚が季節ごとに楽しめる地域性を、うまく利用した急行列車だと思いました。僕は特に「じねんじょ列車」に乗ってみたいです。
少し前にテレビで、明知鉄道の沿線は里山風景がだいぶ残っていると放送していたことを思い出しました。また、終点の明智駅近くには、大正時代の街並みを保存した「日本大正村」というものがあって、こちらも同じテレビで紹介していました。
始発駅の恵那から中央本線を少し北上すればすぐに木曾街道沿いの駅や町ありますから、一日かけてこの辺りを散策して、レトロな雰囲気を味わうのは面白いと思います。

高知県・土佐くろしお鉄道(ごめん・なはり線)は2002年に開業した新しい鉄道です。そしてほとんどが高架線なので眺めがとても良いそうです。特に、西分駅ー赤野駅間は海岸沿いに約4キロにわたって美しい松林が続き、夜に月見をするのに最高な列車だそうです。
矢野さんが下車した西分駅は、波の音だけが聞こえてくるような静かな無人駅で、夕暮れ時には海の色が茜色からピンクや藍色に代わっていく様子を見ることができるそうです。

この様に女性らしい少しロマンチックな感受性を持って、この本は書かれています。
デジタル時代になって、いつも何となく忙しい現代こそ、本書で書かれているような、心身をゆったりとさせた旅が一番いいと思います。特に名所旧跡に行かなくても、日常から一歩外に出て静かな気持ちで車窓を見れば、こんなにも豊かな時間を持てることを教えてくれる本でした。
気がつけば、菜の花畑、波の音、夕暮れの海、スズムシ、月見などは一人で静かに味わえるものばかりです。矢野さんは一人旅が好きな根っからの旅人で、とても魅力的な人だと思いました。

ここでは書きせんでしたが、矢野さんは札幌に生まれた人なので、北海道の鉄道についても多く紹介しています。北海道の鉄道に興味がある人にもこの本は面白いと思います。

お問い合わせフォーム