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このアルバムタイトルからして、松本隆感満載という感じでいいタイトルだと思います。

ねえ・・・❕

松本隆的な言葉
「指と指むすんで ほどかないでそのまま だって心がはなれそうなの だって淋しい雨の日だもの」
「ねえ❕ そんなに目を外らしていないで よそみなんかしてたら 愛が逃げてしまうわ」

雨という天気が彼の心変わりを生むのではないかと心配する主人公。雨降りに二人で出かけたりする事に、めんどくささを感じてしまう男はいるかもしれないです。別に彼女のことが嫌いになったわけではないけど、めんどくさいのです。彼女の方は男のめんどくさい気分を心離れと感じてしまっているのでしょう。
こういうちょっとしたすれ違いって、10代後半くらいの恋愛のなかではよくあるかもしれないです。
20代になってくると、もともと違うところはいろいろあると理解して付き合うと思います。考えてみると、お互いの違いを了解している恋愛ってもう純粋な恋でないかもしれないです。
そのように考えていくと松本隆の歌詞に、初めての恋がたくさん書かれていることがわかる気がします。
そう言えば、ユーミン「あれが最初で最後の本当の恋だから」と唄っています。
純粋な恋はたとえ片思いでも、人生の宝物ではないかと僕は思ってます。なぜなら、一生の内に1回か、2回しかたぶん出来ないものだからです。
松本隆の小説「微熱少年」が実体験だとしたら、10代の松本隆が深く恋してたのは、「雨のウエンズデー」のモデルになった女の子ではないかと思います。彼女のことを思い出して何曲も歌詞を書いていると思います。

たんぽぽ

松本隆的な言葉
「あなたの声が聞きたくて 街の電話をかけたのに 話の中の相手は誰 誰ですか」
「いつかあなたに後ろから 目かくしされた公園よ 振り向いても誰もいない 風の音」

この曲は太田裕美の2枚目のシングル曲です。筒美京平のメロディーもしっとりしていて僕は好きです。この当時の太田裕美はアイドル歌手だったのか、そうでなかったのか気になるところです。
テレビの歌番組には良く出ていた記憶があるし、バラエティー番組ではゲストの歌手として、いろいろ出ていたことを覚えています。今、この曲を改めて聞いてみると、ぜんぜんアイドル歌手の歌っぽくないのです。太田裕美の作詞、作曲ではありませんが、唄われているのはこの後に数年して言われるようになった「ニューミュージック」的な世界観を感じます。

個人的な感想ですが、まずメロディーに当時のアメリカのポップスを感じます。
そして歌詞は、街の電話公園、といった都会の景色が並び、淋しい恋の歌ではありますがオシャレです。ニューミュージックユーミン尾崎亜美などに代表される都会志向の歌から始まったと僕は思っています。それがだんだん幅が広まって漠然としたため、結局は「Jポップ」という言葉に変わってしまったと思います。その後「渋谷系」という言われ方で、やや変形して復活した感じがします。
この歌の公園は代々木公園、電話ボックスは渋谷・公園通りにあるあの有名な電話ボックスを連想してしまいます。こんな風に想像すると、この歌詞は渋谷を舞台にして書いたのではないかと思ってしまいます。

付き合っている男と昔、渋谷でデートして、公園通りを並んで歩き代々木公園まで行ったのです。そこで男はすきを見て後ろから目かくししてからかったりしました。そんな楽しい思い出を残した男と今日の約束ができないばかりか他の女性の影が見え隠れしています。仕方なく一人で思い出の渋谷に来てしまった主人公の淋しさを唄った歌です。
他のカップルがたくさんいる公園で、振り向いても風の音しかなかったら淋しいだろうなと思いますが、歌の世界に生活感が全く無いので淋しさは軽くて、そこがいいです。

すれちがい

松本隆的な言葉
「古い映画のポスター 弾いた指に 知らない指輪が・・・誰にもらったのでしょう」
「行き先の違う切符にぎりしめ あなたは向うのホームに立っている」
「夕焼けが線路に降りてくる ここは愛のすれ違う駅」
「いつも電車に乗るとすぐに窓から ほほえみをくれたの けれど今日はつめたい ガラスの向う 背中しか見えないの」
「夕闇が線路を埋めている こっこは愛のすれ違う駅」

今日の別れをいつものように駅でした二人。でも、彼がしていた知らない指輪が気になる。
駅のホームが別々なのはいつものことだけど、今日は電車に乗ってからこっちを向いて
微笑まない。この駅に来てからの様子に、愛のすれ違いを感じている主人公の揺れる気持ちの詞です。
夕闇が少しずつ迫ってくる時間帯の中で起きた、二人の微妙な関係のズレに主人公は大いなる不安に襲われています。
駅で起きる恋人たちのドラマはリアリティがあるので、松本隆はそれを歌にしてみようと試みたのだと思います。駅という場所は地元の駅でも、出かけた先の駅でも何かドラマを生み出す素地があるので、共感できる人も多いと思います。

これは僕の友達の話ですが、付き合っている女の子を夜になった駅まで送りに行った時、突然「もう会わないって言ったら驚きますか?」と言われて本当にその日が最後になってしまったそうです。彼女の「驚きますか?」という敬語の言葉が他人行儀で、これからは距離を取りたいという気持ちが表れていて、そのせつなさに友達を同情したことを思い出しました。

それから、今はもう無くなってしまいましたが、駅の「伝言板」というのが様々なドラマをかつては作っていたと思います。「今日は行けなくなりました。ごめんネ」くらいならまだいいですが、「やっぱり、さようなら」的なものもありました。これはキツイだろうなと人ごとながら思いました。
あの当時、時々女の子が言った「やっぱり」って何だろうと思います。でも、「やっぱり」の意味をすぐ理解できる人は振られたりしないでしょう、やっぱり。

レモン・ティー

「松本隆 対談集」の太田裕美との話で二人とも好きな曲と言っていました。

松本隆的な言葉
「傷ついた心を抱いてあなたはここに来たのね それなのに私は軽いお喋りしただけ」
「冷めていゆくレモン・ティーの中で くずれてゆくの角砂糖 ぼくたちのようだと言ってあなたはまぜたの」

何かに傷ついた彼を慰めたいのに、その方法が分からず悩む彼女の詞になっていますが、僕にはこの詞に書かれているのは、松本隆音楽仲間の実際にあった一場面ではないかと、自分勝手に想像してしまうのです。
彼は音楽仲間、私は松本隆ということになります。
松本隆には音楽仲間がたくさんいると思います。学生時代からはっぴいえんどに入るまでにいくつかのバンドに入っていたし、はっぴいえんどのまわりにもいろいろな人がいたと思います。その人達がうまくいかなかった時、やさしい松本隆は話を聞いてあげていたのではないかと思うのです。
はっぴいえんど前後の多くのエピソードは冒頭の「松本隆 対談集」の中の細野晴臣との話の中でも紹介されていた気がします。

青い封筒

松本隆的な言葉
「さよならの手紙は鉛筆で書きます ブルーのインクだと思い出が残るし 鉛筆ならいつかうすれて消えそうだから」
「最後の愛を封筒につめます ポストに入れたら あなたを忘れます」

1970年代は口で言えない事はやっぱり手紙で伝えるしかなかったです。でも、使う便箋や封筒の色を選び、書く道具を鉛筆にするか万年筆にするかも考えて、手紙というのは書くことが出来たのだと改めて感心しました。今は、メールライン「さよなら」を若い人達は書くのでしょうか?
手紙は住所を書いたり切手貼ったりとやることもいろいろありますが、その作業の間に気持ちがふっと変わったりすることもあると思います。そんな事を考えると恋愛は手紙の方がいいような気がしてくるから不思議です。
家のポストに相手からの手紙が入っていた時の気持ちも、捨てがたいものがあるのではないかと思います。

いつの時代も恋愛そのものは無くならないので、若い人達のやりやすいやり方が一番いいと思います。今は、携帯電話があるから待ち合わせも楽だろうし、ごはんを食べる店も事前に情報が得られるから、気まずくなるような事件は起きにくいだろうなと思います。
何となく、同じ人と長く付き合うことが出来そうで、とてもいいのではないかと思います。

アルバムには他に「白い封筒」「太陽がいっぱい」「やさしい翼」「回転木馬」「妹」「ピアニシモ・フォルテ」「紙ひこうき」という曲が収録されています。

(敬称は略しました)

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