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前書き

図書館で文芸誌を見ていたら、島田雅彦平野啓一郎の対談が載っていて、この本が話題に出ていたのでそのまま図書館で借りて読んでみました。
2019年8月10日 第一刷発行となっていました。去年の夏、この本の新聞広告が出ていた記憶はないです。
島田雅彦は新聞などでも時々意見を述べていて、同世代ということは知っていました。しかし、申し訳ない事に今まで彼の小説作品を読んだこと無かったので、デビュー作で芥川賞候補になった「優しいサヨクのための嬉遊曲」も一緒に借りて先にこちらから読みました。本当は芥川賞候補になった時から気になっていて、ずっと読みたいと思いながら年月が経ってしまっていたのです。
「君が異端だった頃」を読む前に「優しいサヨクのための嬉遊曲」を読んだのは正解だったです。
理由は後で書くことになると思います。

面白かったところ

神奈川県立川崎高校の文芸部のメンバーが、ある意味で高校生らしくて良かったです。久保響子という美少女に主人公(島田雅彦)が吸い込まれるように惹かれていくのは、僕も似たような経験があるので良くわかりました。どうして高校生の男というのは、その子が美少女というだけで好きになってしまうのだろうと今でも不思議に思います。
驚いたのは、川崎高校がかつての学生運動の流れで学校側に自由を要求して、それを勝ち取りほとんど校則のない高校になっていたことでした。そのためか、文芸部の新入生歓迎会は町中の酒の飲める店で行われ、最初からみんなでビールを飲み始めたところは驚きました。法律のことなど気にする人など普通にいないのもあの時代(1976年頃)らしくて笑えました。僕は家や友達の部屋ではビールを飲んでいましたが、高校生の時にはさすがに店では飲まなかったです。でも、担任の先生の家に泊まった時や、家が旅館をやっていた体育の先生の所に自転車で行って泊まった時、それぞれの奥さんがビールを勧めるので飲みました。あの頃の高校の先生も法律など気にしない時代だったのです。今の時代に高校の先生が自宅で生徒にビールを飲ませたら、懲戒処分は免れないでしょう。
タバコもほとんどの友達がいつの間にか吸っていました。高校3年になると親も何も言わないので茶の間でも吸うようになっていました。そうやって高校生のうちから酒やタバコに浸かっていた人が後に高校教師になったり、国家公務員になったりしていることに若干の違和感を感じますが、今でも彼らは親友なのです。それで、いいと思ってます。
振り返れば「僕らは、天才バカボンの時代」の人間だったのです。
僕より若い人はバカボンのパパの「これでいいのだ」という決めセリフを知らないかもしれませんね。余談になりますが、「天才バカボン」というマンガはすごいマンガだったと今さらながら思います。「巨人の星」「あしたのジョー」など熱血スポーツマンガ全盛の時代に、世の中全般をほとんど理解していないお父さんが主人公のマンガも人気があったのは驚きしかないです。

大学生になってからの話は恋愛遍歴が中心でしたが、後半で大学のオーケストラでバイオリンを弾いている女子にアタックします。その女子こそ「優しいサヨクのための嬉遊曲」のヒロインで、なんと後にはその人と結婚してしまったというエピソードは他人事ではありますが喜んでしまいました。


小説家になって新宿で毎晩のように先輩小説家と酒を飲み歩く話も面白かったです。それぞれの小説家の批評が文中に次から次へと出てきてこれが読ませました。(人数が多いので詳細は書きません)
また、文中の「他者への寛容は、社会の多様性を保持するために必要なことであり、多様性は滅亡の保険にもなる。だから、ノアの方舟には多様な種を乗せたのである。」という言葉は共感しました。
現在の日本社会はなんとなく不寛容方向に傾きかけていて、ちょっと危ないな思っていたのでこの一文は良かったです。いろいろな人がいて、それぞれ違う方向を見ていて一致団結しない社会というのが健全な社会だと僕も思っています。その方が風通しが良くて楽しい酒が飲めます。
そして、「天才バカボン」のばかばかしさを面白く思うことはとても寛容なことだと思います。


僕らが学生だった頃は「そんなの関係ない。固いこと言ってんじゃないよ。」という先輩たちの言葉が基本的なモラルで、法律違反は少なかったがめちゃくちゃな人が多かったです。        でも、大学生協で万引きを繰り返すのはやっぱり犯罪だと思います。友達のクラブの先輩に欲しいものは何でも持って来てしまう人がました。
これはその友達から聞いた話ですが、その先輩は靴が欲しい時は裸足で大学生協に行って、売っている靴を履いて帰ってきてしまうという技を使っていたそうです。その先輩はラジカセだって持ってきてしまうような、かなりの猛者だったようです。というより、そこまでやると学生の皮を被った立派な泥棒だと思いました。


今は就職活動も2年生や3年生ころからやらなくてはいけないみたいで大変です。いい加減な生活の中にいろいろと勉強になることも多いと思いますが、その期間が短いと多様性を認める気持ちが育たないかもしれないと心配になります。その結果、日本の未来の幅が狭くなってしまうのではないかと気になります。
僕は経済至上とか、効率とか、結果優先というものからそろそろ次の価値観に移行した方がいいと思ってます。これからの芥川賞作品のなかにその新しい価値観を言い当てる作品が登場してくれることを願っています。そしてその作品が大ベストセラーになったら日本が少し変わるかもしれないと思います。それは、村上龍の「限りなく透明に近いブルー村上春樹「風の歌を聴け」田中康夫「何となくクリスタル」以上にインパクトのあるものであってほしいです。

個人的な感想

この本の後半部分を読むと小説家は大変だと思いました。(登場人物が多いので詳細は書きません)
今までに無いもの、革新的なものを書こうとすると異端性を身に付けていかなくてはならない。
時にそれは、他人や家族に迷惑をかけてしまう。頭がいいから心の底ではそれはマズイとわかっているのに文学の誘惑のようなものに引き込まれてしまう人達がかなりいることがわかりました。
島田雅彦もその一人で、結婚した後の女性遍歴が書かれていますが、本心はきっと奥さんだけでいいのに、この先に行けば新しい何かが見えるかもしれないという誘惑に引っ張られてしまったように僕には読めました。自分をヘトヘトの出涸らし状態にして、その中から一粒の砂金を見つけるようなことをしているように感じました。これは大変だと思いました。
島田雅彦さん、これからは気楽な読み物を書いて下さい。僕は「東京下町 居酒屋はしご酒」的なものが好きなのです。(敬称は略しました)

島田雅彦「君が異端だった頃」(amazon)

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