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概要

埼玉古墳群は日本古代史を探るうえで、たいへんに重要な史跡です。
この古墳群の読み方は「さきたま」だけど、今の埼玉(さいたま)県の由来となったことで有名です。

5世紀後半から7世紀初めに造られたと思われる、8基の前方後円墳と1基の円墳があり、
2020年に国の特別史跡に指定されました。
昭和初期まで、周りに小型の円墳35、方墳1基がありましたが、沼地の干拓のため取り壊されてしまいました。

特徴的な古墳

稲荷山古墳(5世紀後年)・全長120mの前方後円墳
            ・周囲に二重の堀が巡ってる
            ・金象嵌(きんぞうがん)の115文字が刻まれている、
             金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)をはじめ多くの
             遺物が発見され、これらは一括して国宝に指定された

二子山古墳(6世紀初頭)・全長138mの前方後円墳
            ・武蔵国で最も大きい
            ・墳丘は二重の堀に囲まれており、それを含めた長さは240m以上

丸墓山古墳(6世紀前半)・直径約105mの円墳
            ・日本最大級の円墳
            ・忍城水攻めの際、石田三成の本陣が置かれた

将軍山古墳(6世紀後半)・全長90mの前方後円墳
            ・馬具、環頭太刀(かんとうたち)など豊富な副葬品が出土した 
            ・横穴式石室の内部が見学できる

鉄砲山古墳(6世紀後半)・全長109mの前方後円墳
            ・江戸時代に忍藩の砲術練習場になっていたことから名付けられた
            ・墳丘は二重の堀に囲まれている

丸墓山古墳

稲荷山古墳の主な出土品

金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん) 
      1978年 保存作業中に剣身の両面に金象嵌(きんぞうがん)115文字
      刻まれていることが発見された。
      この銘文は、刀を作らせたヲワケという人物の先祖8代にわたる系譜と、
      ヤマト王権の大王家に親衛隊長として代々仕え、ワカタケル大王の倭国統治
      を助けたことを誇るために文字を記した、という内容になっていた。
    

画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)
      外側には竜、亀、虎が、内側には8個の丸い突起と竜、虎、神仙の文様がある。
      これと同じ形の5世紀後半から6世紀初までの鏡が、群馬県から宮崎県にまたがる
      5ヶ所の古墳で一面ずつ見つかっている。
      関東、中部、九州の豪族がヤマト王権の本拠地に出向き、武官である「杖刀人」
      (じょうとうじん)や文官である「典曹人」(てんそうじん)として大王に
      仕えるようになった。
      それらの任務に応じて、同じ形の鏡を大王家から分け与えられたと思われる。

注目されている事

金錯銘鉄剣に刻まれている年号「辛亥年」(しんがいとし)は西暦471年か、531年か?
「ワカタケル大王」は雄略天皇か欽明天皇か?などについて論争がおこりましたが、稲荷山古墳が
造られた年代を5世紀後半と考えられるようになったため、471年、雄略天皇という意見が多くなっています。

雄略天皇は5世紀後半に在位していた天皇と推測されています。
そして、武力を使いながら地方豪族を抑え込み、有力豪族による連合体であったヤマト王権を
天皇中心の政体に変えた人と見られています。
それらを考えると、この剣に刻まれている内容に大きな矛盾はないと考えられています。
埼玉古墳群に葬られている豪族が、元々武蔵国の人だったのか、ヤマト王権から派遣された人だったのか気になるところです。

5世紀後半ということは、邪馬台国の時代から約200年後で、すでに武蔵・北部にまでヤマト王権の勢力範囲が伸びていたことがわかりました。5世紀はやっぱりヤマト王権によって急激に中央集権化が進んだ時代だったのです。

それにしても、さきたま古墳群には大きな古墳が集まっていて驚きました。この地に大きな勢力があってヤマト王権と協調しながら発展していったのでしょう。
平安時代の後半から活躍する板東武士の中にこの地の子孫達も当然入っていたことしょう。騎馬戦を得意とした隣の毛野の国(群馬県、栃木県)の子孫と一緒に頑張って鎌倉幕府成立を成し遂げたのは歴史の偶然でしょうか、必然でしょうか。
戦国時代に最強と言われた武田騎馬軍団にも、この地に先祖を持つ人達が入っていたかもしれないと、想像を膨らませてしまいました。。甲斐の国とも隣あっています。

古墳時代に関東地方地方で勢力を持っていた人達の先祖は縄文人だけではないと、作家の松本清張氏がたくさん書いてきた「古代史」関係の本の中で持論を展開していました。その考察に対する賛否はいろいろあると思うので、ここでは書きませんが、その知識の多さと推理の鋭さには驚かされます。本を読むと、名推理小説家が推理する古代史が読めます。すごい人だったと思います。

さきたま史跡の博物館のサイトhttps://sakitama-muse.spec.ed.jp

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