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中野東禅(NHK出版)

この本はNHKのEテレで放送している番組「100分de名著」で取り上げた「良寛詩歌集」の回の内容を書籍化したものです。
良寛さんのことが気になる人には入門書となるような本だと思います。

良寛さんの名前が全国に知られるようになったのは、大正7年新潟県糸魚川出身の良寛研究家の相馬御風の著書「大愚良寛」が出版されたのがきっかけだったと書かれています。
良寛さんのが江戸時代から人気があったことを僕はどこかで読んで知っていたので、大正時代になって有名になったという話は意外な感じがしました。

この本では良寛さんの子供時代の様子から書かれています。
越後の国の名主の家の長男として生まれましたが、自分の性格が名主の仕事に向いていないことを自分で認めて、寺に入り出家したそうです。そして、備中玉島円通寺の住職国仙和尚に出会い、円通寺で12年間修行をしました。そして、国仙和尚から「大愚」という号を与えられました。
「大愚」という号を師匠が与えたのは、良寛さんの人物としての大きさが並々ならぬものだったことをよく表していると思います。
その後34歳の時に円通寺を出て5年間諸国を歩き、39歳になってようやくふるさとの越後に帰りました。
5年間は托鉢だけを頼って旅をしたようです。
面白いのは托鉢の旅になってから詩や歌の数が増えていったことです。著者は孤独な旅のなかで視点がどんどん自分の内側に向かったからではないかと書いています。

越後に帰った後に何度も寺の住職の仕事を紹介されますが、結局最後まで住職にはならずに清貧生活を貫きました。それは、当時の寺の中には広大な土地を所有し、それを田畑として貸し出すところも多かったからのようです。そうすると住職は地主で檀家は小作人という立場になってしまい、上下関係やしがらみを背負い込むことになるとわかっていたので住職にはならなかったようです。

暮らしていた草庵に泥棒に入いった時の逸話が紹介されています。
金目になりそうな物がないので、泥棒はしかたなく良寛さんが寝ていたせんべい布団を盗もうとします。布団に横たわっていた良寛さんは泥棒の様子に気づくと、それをとがめるでもなく、眠ったふりをしながら寝返りを打ち、布団から転がり出て布団を取りやすくしてあげたそうです。そして、「ぬすびとに取り残されし窓の月」(あの泥棒も、この月の美しさは盗むことができなかったなあ)という句を作りました。
泥棒に対してもやさしい気持ちを持った、良寛さんの大きさがわかる話だと思いました。

清貧の中で詩歌をつくる生活に満足し、子供たちと手まりを楽しんだ良寛さんは、高齢になると
老いや病をあるがままのものとして受け入りました。
清貧の中にいるからこそ心に汚れが付かないことを自覚して、清々とした気持ちで詩歌をつくることを生きがいとしました。その美しい人生をまっとうした偉人でした。
良寛さんには自分の歩くべき道や、禅僧のあるべき姿が完全に見えていたのだと思います。自分の清貧生活を世間の人に見せることそのものが、仏教を広めることになると考えていたようです。
ボロボロの衣を着て、托鉢で村人に食べ物を恵んでもらう生活を最後まで貫いたその精神力は誰にでもできないことで、味わい深い詩歌と合わせてそのことが人気を得ることになったとわかりました。

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