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話題の城 忍城

忍城を舞台にした和田 竜の小説「のぼうの城」は2009年に本屋大賞で2位になり、それを受けて2012年に野村萬斎が主役で映画化されて、人気が出たことを覚えている人は多いと思います。
天然の沼地を利用した城で、郭(くるわ)は橋で結ばれていたらしく、イタリアのベネチアみたいだったのでしょうか。
町家や武家屋敷も外部防衛線の中にあったらしいです。
しかし現在、江戸時代以前のものはほとんど残っていません。

歴史

1479年 それ以前の忍氏に代わりこの地を統治する事になった成田氏により築城され、
       関東七名城の一つと呼ばれる。
1590年 豊臣軍の石田三成公たちによる水攻めを受けるが耐えた。
      (この時の攻防の様子を描いたものが「のぼうの城」である)
江戸時代  松平氏、阿部氏などが城主となり、城の改修・整備をすすめ、10万石の城下町
      として栄えるが、後に明治維新を向かえる。
1873年(明治6年) 主な建物は競売に出され、土塁などを残すのみとなる。

現在

忍城址には江戸時代には天守の代用をしていたという御三階櫓が1998年に建設され、隣には
行田市郷土博物館があります。
御三階櫓の周りに堀がありますが、この堀が江戸時代からのものかはよくわかりません。でも、櫓のすぐ下に堀がああると、やっぱりいい雰囲気です。
また、少し離れた所にある水城公園の池に、沼地に囲まれていたという江戸時代の面影を見ることができるかもしれません。

御三階櫓

行田市郷土博物館は「古代の行田」「中世の行田」「近世の行田」「足袋と行田」をテーマとして展示していました。

2010年からは観光PRを目的とした忍城おもてなし甲冑隊が活動して観光客を
楽しませています。

長い歴史を持つ行田

行田市は弥生時代の大規模な稲作を行う村の遺跡があり、古墳時代には有名な
埼玉(さきたま)古墳群が造られた武蔵国・北部の重要な歴史的地域です。
「忍」「行田」の地名の由来は諸説あるようですが、平安時代には存在していたようです。


次回のブログでも紹介する古墳群の話は行田というか、利根川沿岸に縄文時代から人々がこの地に住んで歴史や文化を育んできたことがわかります。
そして、古墳時代の埴輪の中に、渡来文化の影響を大きく受けているものがあることには驚かせられます。渡来文化はヤマト王権経由で入ってきたと思われますが、ヤマト王権のあった奈良と北部武蔵の間に、どんな接触や交流があったのでしょうか。
また、隣接する北関東の強国「毛野」との関係はどうだったのかも気になるところです。

足袋(たび)の町 行田

行田市は江戸時代中頃から昭和の初め頃まで、足袋の生産で賑わいました。
この地域では綿栽培と、藍染が盛んだったためです。
昭和13年の生産量は8,400万足で、全国生産の約8割を占めていたというから、
たいへんな盛業ぶりであったことが伺えます。戦後はナイロン靴下の普及で需要は下がったが
今でも日本一の足袋生産量を誇っています。
2017年に「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」が文化庁の認定する日本遺産
認定されました。

田山花袋と行田

忍城址の近くにある水城公園に、明治から昭和にかけての文学者田山花袋の文学碑「田舎教師の碑」が建っています。
そこには文中の「絶望と悲哀と寂寞とに 堪え得られるやうな まことなる生活を送れ
運命に従ふものを勇者といふ」と刻まれています。

忍城のサイトhttps://www.go2park.net/parks/oshijo.html

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