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大野晋著(岩波新書)

日本語の原形は南インドのタミル語ではないかという研究を長年行ってきた大野晋さんの代表的な本です。
言葉だけでなく、文化面もいろいろな伝搬があったことも書いていて、それもとても興味深い内容でした。

今も日本語として使っている言葉の内500語が余りがタミル語由来であることを説明していますが、特に注目することはやはり稲作文化に関係する言葉が多いことです。大野晋さんは稲作、粟などの耕作技術を日本に持ってきたのは南インドのタミル語を使う人々だと思うと書いています。田んぼ稲、米,粥、餅、早稲などの言葉が、タミル語ととても似ているからです。
また、朝鮮語も共通しているところが多いことから。朝鮮半島にもほぼ同時期に稲作文化が南インドから伝承したのではないかと予測しています。つまり稲作文化は一般に言われている朝鮮半島からもたらされたものではなくて、南インドから朝鮮半島と日本列島に並行して入ってきたと考えているのです。この説は僕には新しくて驚きました。
一般に弥生人の出身地とされている揚子江下流地域の中国語が、穀物栽培に関わる言葉として何一つ伝来していないことも問題にしています。

また、正月に門松を立てたり、鏡餅を供えたりすることなども南インドの風習にあるそうでです。この本のなかでは正月行事の共通しているものを他に12ケ紹介しています。それは穀物栽培の文化に由来したものであることがよくわかります。
さらに、奈良時代や平安時代まで続いていた「妻問い婚」という結婚の形も、元は南インドの風習であったようです。このことは、あの司馬遼太郎さんも「妻問い婚」は南方からきたものだとエッセイで書いていたことを思い出しました。その時司馬さんは日本の海沿いの集落に少し残っている「若衆宿」という若者教育システムも南方からきたものだと紹介していました。ただ、南方ということだけで、「南インド」と限定はしていなかったような記憶があります。

日本文学の伝統である和歌の「五七五七七」の形式も古代タミル語の歌にあることも説明しています。和歌の形式は日本独自のものだとずっと思っていたのでとても驚きました。

縄文時代以前の日本の言葉はポリネシア語族の一つだったが、そこに縄文時代晩期にタミル語がかぶさってきたと大野晋さんは考えています。そして新しい文化に付随してきた単語はそのまま日本国内で使われるようになったと予想しています。現在使っている「テレビ」とか「ラジオ」などのような本来英語だった言葉が日本語に溶け込んでいることとと同じだと説明しています。

以前NHKの番組で酒に弱い体質(腐った食物を食べてしまった時の耐性強化に伴う体質変化)を持っているのは揚子江下流域の人と日本の近畿地方の人だというのを見た時、弥生文明は揚子江下流域の人が大型船で朝鮮半島を経由して日本に来て始まったと思っていました。
しかし、この本で南インドと日本のつながりの深さを読んでしまうと正直「どういう事だろう?」と思ってしまいました。
弥生文化の始まりを問題にした時、現在も南インドのことは余り取り上げられていないのではないかと思います。これほど証拠が揃っているのにその理由はわかりません。この本は1990年代に出版されましたが、当時の反響はどうだったのかも気になるところです。
最後のページに研究を総括した文章が載っていて、大野晋さんの主張がとてもはっきりとよくわっかりました。

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