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エミール・ギメ著 岡村嘉子訳(角川文庫)

この本は1876年(明治9年)に日本に訪れたフランスの実業家のエミール・ギメの旅行記で、同行した画家のフェリックス・レガメの挿絵が入っています。フランス人に日本を紹介するために書かれました。

ギメは日本に来る前から日本の美術、宗教、文化をかなり勉強していました。そのために初めての日本にもかかわらず、いろいろな日本の習慣にすぐに馴染んでいきました。
また、日本に対して憧れに似た気持ちを持っていたこともあって、上から目線では書かれていません。それからギメという人が生まれつき持っていたと思われるユーモアのセンスも、この本を楽しく読ませました。

読んでいて最初に驚いたのは、ギメが「忠臣蔵」の話を詳しく知っていたことでした。東京の泉岳寺に行った話を書く時に紹介しています。「忠臣蔵」の話を来日前から知っていたのか、帰国後に知ったのかはわかりませんが、この本がフランスで出版されたのが1880年(明治13年)なので、いずれにしても日本のことが猛スピードで欧米諸国に紹介されていたことがわかるエピソードだと思いました。

当時の東京の人気絵師だった「河鍋暁斎」の家を訪ねた話もおもしろかったです。
少し話をしてなごんだ後に、画家のレガメが「肖像」を描かせてほしいと頼むと暁斎は了承しました。
そして、驚くことに肖像を描かれているのに暁斎も筆を取って逆にレガメの肖像を書き始めたそうです。ギメは画家同士の決闘のようだったと書いています。二人がほぼ同じに絵を書き終えた時にギメは「ブラヴォー、暁斎!ブラヴォー、レガメ!」と叫んだそうです。

日本の住宅の清潔さについても称賛していますが、一つだけ残念だったのはトイレの臭いが座敷にまで侵入してきてしまうために、料理屋で食事をする時もその臭いの中で食べなければいけなかったことのようでした。来日したのが9月の初めで、まだ暑さの残る時期だったことも影響していたかもしれませんし、臭いというのは慣れると感じなくなってしまうので、日本人はさほど気にしていなかったかもしれません。

三味線による弾き語りを聞いた時には、調子が外れている演奏と歌に日本人達が魅了されて聞いていることに驚きます。西洋音楽に親しんでいるギメにとって邦楽の独特な音階はすぐには理解できなかったのだと思います。それでもその時に聞いた「かっぽれ」をその場で譜面にして書いています。
そして、日本橋の祭りに遭遇して神輿を見た時には、歩調を合わせるために掛け声を規則正しく発してることや、朗らかで軽やかな、生き生きとした何かを有していることを認めています。

日光の寺で行われた夕方の勤行に立ち会った時の感動は次のようでした。
「それは祈りではなく、存在するものたちの響きであり、また魂たちの演奏会にして、人智を越えた世界より届くハーモニーなのだ。」と大勢の僧侶たちによる「声明」を聞いた時のことを書いています。

明治初期における普通の日本人の生活や、寺社のことなどがわかる良書でした。
また、レガメの描いた挿絵がたくさん載っていて、それがたいへんに情緒的で素晴らしく、当時の庶民の生活温度感がよくわかります。こちらを見ていくだけでも現在と違う当時の暮らし方が、現代の僕らに何かを教えてくれるようです。

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