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戦国時代は関東七名城の一つと言われ、上杉謙信、武田信玄、豊臣秀吉の家臣などが
この城を舞台に戦ったようです。
そして、利根川の氾濫などによる、たいへんだった江戸時代の歴史の概要は次のようなものです。

概 要

(1)1601年 酒井重忠公が城の大改修を行い、3層3階の天守も造営される。
(2)17世紀後半から18世紀前半にかけて、利根川の洪水、浸食などにより本丸ほか
   城郭が壊れていく。  
(3)1749年 松平家が酒井家に代わって城主となるが、1767年本丸が崩壊の危機となり
   前橋城を放棄して川越城に移る。
   城は廃城、天守閣、大手門が取り壊される。
(4)1867年 生糸の輸出で財政回復した事をテコにして、土塁の上に砲台を置く近代的な
  城郭を造る。
   しかし、半年後に幕府が大政奉還する。
(5)1871年 明治政府による廃藩置県政策で、本丸御殿が前橋県の県庁になるが、他の建物
   は取り壊される。

現在の様子 

概要の(5)で書いた理由によって、前橋城の城郭はほとんど残っていません。
本丸御殿も無くなり、跡地には地上33階の群馬県庁本庁舎が1999年に建てられました。
そのため、前橋城を見に行っても、わずかに残った石垣と土塁を見る事しかできません。
そのため、天守閣などを見たい人にとっては少し残念な城です。
しかし、旅として訪れるには前橋はなかなか魅力的な街なので行ってみてほしいと思います。

石垣(打込接の乱積みに見えました)
左側に見えるのが土塁

明治維新に揺れた前橋城

明治政府は廃藩置県を行った時、真っ先に前橋城の取り壊しを決定したらしいです。
土塁の上に砲台があるような城を、明治政府は当然無視できなかったからだと思います。
五稜郭に代表される函館戦争が終わってからまだ2年しか経っておらず、明治政府は
旧幕府軍の新たな反撃をおそらく警戒し、東京近郊の城がその拠点になったら困ると
考えたのでしょう。(甲府城も廃藩置県から数年後に取り壊されています)
確かに関東地方において、江戸時代の城郭が残っている所は近畿地方から西方面に比べて
少ないと思います。
四国はほとんど残っているし、兵庫県も姫路城を始め山陽道沿いに軒並み
残っている感じがすることを思うと、新政府に警戒されていたことがわかる気がします。
歴史的大変革の時代の流れに抗うことができずに城郭を残せなかった前橋城。
わずかに残った土塁や石垣の寂しさが胸を打ちます。

美しいケヤキ並木の街になる

前橋駅から群馬県庁に向かう道はずーっとケヤキ並木が続きます。
そのケヤキは1950年に植えられたものらしく、樹齢70年のかなりの巨木になっています。
前橋駅前からその並木の歩道を歩くと本当に気持ちが良いです。
途中にある歩道橋の上からその並木を見下ろすと壮観でした。
ここを歩くためだけに前橋を訪れる人もいるのではないかと思う程です。

ケヤキ並木(歩道橋の上から)

駅前から500mくらい行くと国道50号線にぶつかります。
その五差路の50号線をたどって行くと群馬県庁(前橋城址)です。
道沿いには小さいビルと店が並んでいます。
今時の地方なので隙間も多いけど、全国的なチエーン店は少ない感じで落ち着きます。

ケヤキ並木と言えば東京・原宿の表参道を思い出します。
1920年に200本植えたが戦争でほとんど無くなってしまい、戦後すぐに新たな植樹が
行われて復活したようです。

前橋のケヤキ並木は原宿と比べてオシャレ度は当然落ちますが、地方都市でこれほどの大きさと
長さは珍しいと思いました。
夏の朝や夕方に歩くと、とても気持ちがいいだろうなと感じました。

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ケヤキ並木

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