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保坂和志著(中公文庫)

1993年に野間文芸新人賞を受賞した小説です。そして、とても小説らしくて楽しく読める本です。
語り手「ぼく」は主人公ではなくて、「ぼく」の周りに集まっている変人達がしいていえば主人公かもしれません。その構成は、「ぼく」のアパートに転がり込んできた男二人と美女一人、競馬仲間のおじさん二人、行きつけの喫茶店で以前ウエイトレスのアルバイトをしていた恋人の女性などです。

「ぼく」の周りのいる変人達は競馬仲間のおじさん以外はまともな職業を持っていない人達で、図々しく「ぼく」のアパートに転がり込むことで生活を何とか維持しているのに、まともに働こうという気持ちがまったく見えないところが普通ではないです。以前読んだ保坂さんのエッセイに「他人から見て、何をしている人なのかわからない人が人生の達人ではないか」というようなことを書いていたことを思い出しました。この本の登場人物はその様な人達です。

特に僕が気になった人は「島田」という名前の、早口のために慣れないと聞き取れない喋りをする青年です。
用事も無いのに毎朝8時か9時に外に出て、山手線乗ったり、喫茶店や本屋に行ったりするだけのことを毎日繰り返し、部屋では聖書やニーチェを読んでいろいろ考えています。
これは僕の個人的な考えですが、こういうわけのわからない人が、世の中の仕組みの隙間を突くような新しい文化や商売を見つける人ではないかと思います。まともに会社に行っていたらなかなか突拍子も無いアイデアは浮かばないし、やってみようとも思わないのではないかと思います。だからいつの時代もこのような人こそ、新しいものを創造できる貴重な人ではないかと思います。
この小説の中では変人のことを、「才能」という言葉でプラスに見ているところが一貫していて、そこがこの小説にとても深みを与えていると感じました。

この小説は普遍的な人間の心の繊細さを説明する文章が突然出てきます。例えば、「ぼく」が元喫茶店のウエイトレスの工藤さんという恋人の部屋に行って彼女と親密になった後にこんなことを思います。
『あのときぼくは「かなしい」と思ったことを知った。それを「かなしい」というのはおかしいのかもしれないが、ぼくはきっとあのとき工藤さんのからだに流れた時間を思い、その時間が流れていくことに言葉
が必要になって「かなしい」と思い、だからその「かなしい」というのは工藤さんのことなのではなくて、こうしているあいだにもみんなに共通に時間が流れていることの意味なのだろうけれど、
それでもそれをぼくに知らせたのは工藤さんでぼくは感傷でもない性欲でもない、ただ工藤さんを思う気持ちが胸の中で膨らんでいくのを感じた。』
この文章はちょっとわかりにくいけど、一緒にいる最中に「かなしい」と感じてしまうことや、その「かなしさ」が相手との心の距離を近づけてくれるという、理屈では説明できない青年男子の微妙な心の内を言っているのだと思います。この気持ちを小説で書いた人は、そんなにたくさんいないのではないかと思います。
この後、「ぼく」は工藤さんの寝顔を見て、「ズルズルと愛のようなものに自分が浸っていく気がして」と言っていますが、これも僕はわかります。無防備な自分の彼女の寝顔には、言葉にならない吸い込まれるような何かがあると思います。

特別な事件が起きるわけでもなく、登場人物の人間性だけで話が進んでいく小説はやっぱり面白くて、充実した読書時間を味わえる本だと思いました。

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