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(PARCO出版)

この本はPARCO出版から出ている食べ物に関するエッセイ集の中の一冊です。
2016年現在で、餃子の他にカレーライスお弁当おやつビールそばをタイトルにした本が出ていたようです。

合計40人の人達がいろいろなところで書いた、餃子についてのエッセイを集めています。
その人達の職業は、エッセイスト、作家、落語家、俳優、イラストレーター、タレント、喜劇役者、数学者、料理家、漫画家、音楽家、農学者、芸術家、映画評論家、コラムニスト、写真家などです。
餃子という日常的な食べ物が、いろいろな人生を送ってきた人達によって、様々な顔が浮かび上がってくるところが読みどころの一つだと思いました。

一番多かったエッセイは、自分の好きな店について書いているものだと思います。とくに、東京の神田神保町渋谷の店の話が多かったです。それから、自分で作った体験談中国や香港などの本場で食べた時の話などもありました。

僕が面白かった話を簡単に紹介します。
最初は椎名誠さんの書いた話で、「ギョーザライス関脇陥落?」というタイトルが付いています。
椎名さんは物事に対して独自のツッコミを入れるところが、いつも面白いです。
今回は寿司、天ぷら、すき焼きといった高級感のあるものを除いた国民食の番付を書いてます。(個人的思い入れだけで話が展開していくところが、昔から椎名流で、そこが笑わせます。)
東正横綱は「カツ丼」で、理由は風格、全世代的支持、ドンブリ業界の指導力
西正横綱は「天丼」で、理由は海老反りの薄衣型の土俵入りが美しい
東西大関に「鰻丼」と「牛丼」
関脇は「カレーライス」と「ラーメン」そして「ギョーザライス」
小結の「ハンバーガー」は外国勢の台頭による
幕下上位は「もり蕎麦」で細身ながら下町に人気の業師(蕎麦って確かに業師っぽい)、それから対極的に「天ぷらうどん」も入っています。

ギョーザ単品でなく、ギョーザライスとしているところが運動部にいた椎名さんらしさです。

椎名さんは高校時代に運動部にいて、いつもお腹がへっていたので中華スープが付いてくるギョーザライスが黄金メニューだっとそうです。そして、大人になってお金を自由に使えるようになったら毎食「ギョウザライスラーメン付き」を食べようと思っていたらしいです。しかし、大人になると「ギョーザライス」よりもっとおいしいものがあることを知って、毎食「ギョウザライス」の純朴な夢は揺らいでしまったと書いています。「それはそうでしょう」と多くの読者はここで思ったことでしょう。「当たり前だよ。どうしてそんなわかり切ったことを高校時代に気付かないのだ。」と読みながら叫んだ人も何人かいたと思います。ただ、ギョーザライスがどれほどに好きだったかは伝わる話でした。読みながら、腹を抱えて笑いました。

椎名誠さんとは全く違うスタイルで青春の一場面を書いたのが片岡義男さんの話です。
僕は二十歳代前半の一時期、片岡さんの乾いた小説が比較的好きでした。それは、他の日本の小説では味わえない理屈っぽさクールさが読んでいて気持ちよかったからだと思います。

今回は片岡さんが25歳の時の話で、東京の十条銀座商店街の近くに住む、23歳の女性と付き合っていた時のことが書かれています。。彼女は年上の知人に紹介された人で、当然のように美人でした。
土曜日の午後に、十条銀座商店街をくまなく歩くのが二人のデートでした。そして、6回目のデートの別れ際に彼女が「もうこれで会わないようにしましょうか」と言います。片岡さんは狼狽しますが、彼女の提案を受け入れます。そして失恋の大きなショックをやわらげるために、十条銀座商店街にある銭湯に入って、湯上りにコーヒー牛乳を飲み、赤羽で餃子を二人前食べた書いています。

これは1960年代の話で、女性の23歳は結婚を考えなくてはいけなかった時代でした。彼女が「もうこれで会わない」と言ったのは片岡さんが結婚に進んでいくようなアプローチをほとんどしなかったからだと僕は思います。彼女は片岡さんが結婚のことを、今は考える人ではないことを察したのです。
今の時代ではこのような考え方を、僕の周りで耳にすることはありません。
でも1980年代前半くらいまでは結婚適齢期という言葉が、普通に世の中に出回っていた記憶があります。そんな時代背景の中で、まだ若かった片岡さんは振られてから、自分が彼女のことを好きだったことに気が付いたのではないかと思いました。
時代が違っていたら、彼女は6回目のデートくらいで「もう会わない」と言わなかったでしょう。
そう言えば僕の友達も25歳くらいの時、付き合っていた彼女をデートの後で最寄りの駅に送って行った時、改札口で突然「もう会わないと言ったら驚きますか?」と言われて、それっきりになってしまったそうです。友達の彼女の真意はわかりませんが、結婚という意識が彼女を動かしたのではないかと思います。友達はまだ結婚するには早すぎる歳でした。1980年代前半の事です。
1975年に大ヒットした「22才の別れ」という歌も、恋愛より結婚を選んでしまった女性の歌でした。あの頃、女性は23歳くらいまでに現実的な判断をしなくてはいけなかったのでしょう。社会的プレッシャーが恋愛を上回ってしまう時代だったのです。今では、全く考えられないし、おかしな風習でした。日本社会も進化して本当に良かったと思います。

話が違う方へへ行ってしまいました。
餃子というのは小さな日常的な料理なのに、それぞれの人がいろいろな深い思いを持つことのできる、不思議な食べ物なのだと改めて思いました。


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