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簡単・最近読んだ本の紹介「この人の閾(いき)」保坂和志著(新潮文庫)

保坂和志著(新潮文庫)

本のタイトルになっている「この人の閾」を含む四つの短編が入っている本です。
保坂和志さんらしく話の内容はとても淡々としていますが、簡単に言葉にならない人間の微妙な心のひだが書かれています。特に一つ目の「この人の閾」は主人公と大学時代のサークルの先輩で今は家庭を持っている女性との会話が話の中心ですが、会話中に先輩に対していろいろと気付いていく経過が読みどころです。
少し抜き書きしてみます。

『「三沢君って、昔からけっこうヒューマニスト的なところがあったわよね」
ヒューマニスト的?ぼくは小さく笑っただけだったが、聞いた途端に悲しいような気持ちが起こった。記憶の中の真紀さんといまの真紀さんの違いを感じたのだ。サークルのあの部屋でしゃべっていた頃の真紀さんだったら〝ヒューマニスト的〟というような安直な言葉は使わないはずだった。
 そういう何でもかんでも十把ひとからげにして雑に結論づけてしまうような週間誌や新聞記事みたいな言葉をむしろ一番嫌っていた、というか敏感だったのが真紀さんで、ぼくは不用意な言葉をずいぶん指摘された。』

また、学生の頃にはよくわからず誤解していたことが、久し振りに会うことで実像がわかったりした以下のやり取りも興味深く読みました。

『「あたしって、そういうことに対してじつはすごくおくてだったのよ。
 理屈ばかり言っててさあ、行動が伴ってなかったから━、セっちゃんなんかの方があたしよりよっぽど大胆なことしてたよね」
 やっぱりそうだったのかと思った。
 真紀さんははじめて見たときからすごく大人っぽい様子をしていたけれど、案外何もしていないんじゃないかというのは真紀さんが卒業する頃になってぼくも感じるようになった。』

このように初対面の先輩に対して「高校時代までは出会ったことのなかった、よくわからない少し不思議な人」という印象を感じた経験を持つ人はたくさんいるのではないかと思いました。
この話の中では不思議な人「真紀さん」も結婚して子供が出来て専業主婦を長年やっているうちに不思議度が落ちてしまったというか、主人公の「三沢君」も人生経験積んで見える範囲が広くなったのだと思いますが、久し振りに会った人との会話で自分も変わったことを知るのも人生の味わいだと思う話でした。

ただ専業主婦の「真紀さん」が最近は長い話の本ばかりを読んでいると告白し、その理由が「長い話は読み終わるのに時間がかかるから次に何をよもうかと迷う頻度がすくなくてすむことと、どうせ一気に読めないと思っているから読むのに中断されることに何の抵抗も感じないこと、それに長い話の方が緩くできていて自分の生活のテンポにあっているんだというようなことを言い・・・」というところを読んだ時「真紀さん」はやっぱり今もどこか変わっていて、そして読書好きで、それはとてもいいことだと僕は思いました。

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最近読んだ本の紹介「草の上の朝食」保坂和志著(中公文庫)

保坂和志著(中公文庫)

1993年に野間文芸新人賞を受賞した小説です。そして、とても小説らしくて楽しく読める本です。
語り手「ぼく」は主人公ではなくて、「ぼく」の周りに集まっている変人達がしいていえば主人公かもしれません。その構成は、「ぼく」のアパートに転がり込んできた男二人と美女一人、競馬仲間のおじさん二人、行きつけの喫茶店で以前ウエイトレスのアルバイトをしていた恋人の女性などです。

「ぼく」の周りのいる変人達は競馬仲間のおじさん以外はまともな職業を持っていない人達で、図々しく「ぼく」のアパートに転がり込むことで生活を何とか維持しているのに、まともに働こうという気持ちがまったく見えないところが普通ではないです。以前読んだ保坂さんのエッセイに「他人から見て、何をしている人なのかわからない人が人生の達人ではないか」というようなことを書いていたことを思い出しました。この本の登場人物はその様な人達です。

特に僕が気になった人は「島田」という名前の、早口のために慣れないと聞き取れない喋りをする青年です。
用事も無いのに毎朝8時か9時に外に出て、山手線乗ったり、喫茶店や本屋に行ったりするだけのことを毎日繰り返し、部屋では聖書やニーチェを読んでいろいろ考えています。
これは僕の個人的な考えですが、こういうわけのわからない人が、世の中の仕組みの隙間を突くような新しい文化や商売を見つける人ではないかと思います。まともに会社に行っていたらなかなか突拍子も無いアイデアは浮かばないし、やってみようとも思わないのではないかと思います。だからいつの時代もこのような人こそ、新しいものを創造できる貴重な人ではないかと思います。
この小説の中では変人のことを、「才能」という言葉でプラスに見ているところが一貫していて、そこがこの小説にとても深みを与えていると感じました。

この小説は普遍的な人間の心の繊細さを説明する文章が突然出てきます。例えば、「ぼく」が元喫茶店のウエイトレスの工藤さんという恋人の部屋に行って彼女と親密になった後にこんなことを思います。
『あのときぼくは「かなしい」と思ったことを知った。それを「かなしい」というのはおかしいのかもしれないが、ぼくはきっとあのとき工藤さんのからだに流れた時間を思い、その時間が流れていくことに言葉
が必要になって「かなしい」と思い、だからその「かなしい」というのは工藤さんのことなのではなくて、こうしているあいだにもみんなに共通に時間が流れていることの意味なのだろうけれど、
それでもそれをぼくに知らせたのは工藤さんでぼくは感傷でもない性欲でもない、ただ工藤さんを思う気持ちが胸の中で膨らんでいくのを感じた。』
この文章はちょっとわかりにくいけど、一緒にいる最中に「かなしい」と感じてしまうことや、その「かなしさ」が相手との心の距離を近づけてくれるという、理屈では説明できない青年男子の微妙な心の内を言っているのだと思います。この気持ちを小説で書いた人は、そんなにたくさんいないのではないかと思います。
この後、「ぼく」は工藤さんの寝顔を見て、「ズルズルと愛のようなものに自分が浸っていく気がして」と言っていますが、これも僕はわかります。無防備な自分の彼女の寝顔には、言葉にならない吸い込まれるような何かがあると思います。

特別な事件が起きるわけでもなく、登場人物の人間性だけで話が進んでいく小説はやっぱり面白くて、充実した読書時間を味わえる本だと思いました。

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簡単・最近読んだ本の紹介「お探し物は図書室まで」青山美智子著(ポプラ社)

青山美智子著(ポプラ社)

久し振りに、読みながら元気をもらえる本に出会いました。短編が五つ入っていますが、どの話にも同じ図書室の同じスタッフが登場するところがこの小説のミソです。
各話ごとに主人公がいますが、みんな現在の日本ではどこにもいる人ばかりです。職業はスーパーマーケットの服飾部門で働く若い女性、会社で経理の仕事をしている若い男性、小さい子供が一人いる元雑誌編集者の女性、自分に向いた仕事を見つけられなくてニートになっている若い男性、定年退職したばかりの初老の男性です。
しかし、この小説の本当の主人公は図書館司書の中年の女性で、それがひとつの仕掛けになっています。

各章の主人公たちはそれぞれ悩みを持って生活していますが、ちょっとした巡り合わせで、コミュニティハウスの中にある図書室にたどり着きます。そして、図書館司書に紹介された本を読むことがきっかけになって、考え方が変わり新しい価値観を手に入れていきます。

図書館司書の紹介する本は、それぞれの人が元々探していた本の他に、まったく関係のない本がなぜか一冊加えられています。そして、この一冊が借りていく人にとても大きな影響を及ぼしていくのです。もちろんその本がどんな内容なのかは、話の流れの中でだいたいわかるようになっているので、その本を後から自分も読みたくなります。
また、図書館司書の女性が、「おまけ」と言って自分が作った羊毛フェルトの小さな一品を毎回プレゼントしますが、これが悩んでいる人にちょっとしたヒントをもたらしたりしするところも面白いです。

各章の主人公たちが、落ち着いた気持ちを得て、本当に自分がやりたいことを見つけていく話でした。この本を読んでとても前向きな気持ちになりました。

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簡単・最近読んだ本の紹介「さざなみの日記」幸田文著(講談社文芸文庫)

[幸田文]のさざなみの日記 (講談社文芸文庫)
幸田文(講談社文芸文庫)

この本は昭和29年に書かれた本です。これは小説仕立てになっていますが、主人公の境遇や家族構成などは著者の幸田文さんに重なります。話の舞台は東京都心の古くからの住宅地です。幸田文さんはこの頃は文京区小石川に住んでいたらしいので、僕はそのつもりで読みました。詳しくは知らないのですが、小石川辺りは江戸時代には武士の屋敷などもある所で、下町とも言えないようなところではないかと一人で想像しながら読みました。

昭和29年頃の東京に住む庶民の生活感覚の中に、はっとするような物の見方などが書かれています。
登場する人物も少ないし、若干の個性は当然ありますが、総じて普通の人達の生活とそこから生まれる会話でこの話は作られています。しかし、この普通の生活の中に、今の東京や日本人が無くしてしまったものが確かに書かれていると思いました。また、主人公の家に来ているお手伝いのおばさんの近所付き合いの様子は、中高年の僕などは少しの懐かしさを感じました。

心に止まったことを書き出してみます。
「近い先ゆきに何か特別な一大事件が発生しそうなけはいもないけれど、毎日まるでなんにもないことはない。明るく晴れている海だって始終さざ波はあるもの、それだから海はきらきらと光っている」
家族との生活の中に、いつも小さなさざ波があっていいのだと言っていると思います。さざ波があるからこそ輝けるのだということだと思います。懐の深い考え方で、共感しました。

「取柄は多少字が書けるというほかに、ひとの内輪を穿鑿しないことだ。決して立ちいらない。冷淡とか面倒がりとかいうのではなく、総じて明敏というたちでないのを承知しているいから、ひとのことをごちゃごちゃ頭のなかへ納め入れるのは好まない。」
これは人と付き合っていく中で、大切な知恵ではないかと思います。家族以外の人に干渉し過ぎるのは失礼だし、却って相手との距離が出来てしまうということを知っている人の言葉だと思いました。

「生活の楽な女より苦しい女のほうが、ある場合、きびきびと、生々(いきいき)としている・・・」
この言葉には、かなり深い洞察があると思いました。男から見た女性評では無く、女の人から見てこのような傾向があることを指摘されると、「そうかもしれない」と素直に思ってしまうし、人の幸せとは何かと改めて考えてしまいます。

話の本筋からそれますが、驚いたことがあります。それは、この本が書かれた昭和30年頃の昔からの東京の町では、近所の主婦同士が時々集まって食べたり飲んだりしていたことです。今はどうなのかわかりませんが、たぶんやってないのではないかと思います。(商店街ではあるかもしれません)
そしてこの時代の人はみんな長唄の「越後獅子」を知っていて、三味線を弾いてみんなで歌ったり踊ったりしていたことに驚きました。有名な曲ならば、他の長唄や端唄もみんなが知っていた時代だったと想像できます。また、三味線を弾ける人が近所に普通にいたこともすごいです。60年前は、こんなに趣きのある東京の暮らしがあったのだとビックリしました。日本人は便利さと引き換えに、心の豊かさや、ささやかな楽しみを無くしたのかもしれません。

本の背表紙に「洗練された東京言葉の文体」と紹介されていますが、確かに美しい日本語の中にどこか懐かしさを含んだ文章は、読むだけでいい気持ちになりました。

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簡単・最近読んだ本の紹介「万波を翔る(ばんぱをかける)」木内昇著(日本経済新聞出版社)

木内昇著(日本経済新聞出版社)

幕末の時代小説が好きな人にはお勧めの本だと思います。
主人公が江戸幕府の外国局という部署にいて、諸外国と貿易問題を折衝する仕事をしている一人の役人という視点がとても新しく新鮮でした。
この時代の小説というと薩長側からみて書いたものや、歴史上の有名人の話が多いと思いますが、一人の役人が見た明治維新時の江戸城内の様子というのは興味深いものがありました。

外国局を束ねる「奉行」という立場の高官の職に就く人達は、頭脳も人格も秀でた人が多かったことが書かれていますが、これは幕府にとって前例のない重要な仕事なのでそのような人達が選ばれたのだろうと思いました。
そして、この奉行職の人達が主人公に解く人生哲学がとても読ませます。やはりこれ位の人物には、物事が広く見えていたことがよくわかります。しかし、諸外国の経験豊富な外交力と、急激に変化していくい時勢に挟まれて苦労したことも詳しく書かれています。

読書後に調べたところ主人公や親しくしていた後輩実在の人物でした。そして、これらの人達は明治になってもいろいろと大きな仕事をしていました。
幕末の江戸幕府には優秀なな人材がたくさんいたことがよくわかりました。

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簡単・最近読んだ本の紹介「小説日本婦道記」山本周五郎著(新潮文庫)

山本周五郎著(新潮文庫)

江戸時代の武士の家族を書いた短編集です。
そして書かれているのは、とても美しい心をもって人生を全うしていく女性たちとそのです。

「風鈴」という話では、身分の高下や貧富の差などは人生の大事ではなく、生きたことが自分にとって無駄ではなく、世の中のために少しは役立ち、意義があったと自覚できること。そして、人生の最後になって、人に惜しまれる人になるだけの仕事をしていくことが大切だと主人公の夫が語ります。

「二十三年」という話では、人間にとって大切なのは「どう生きたか」ではなく「どう生きるか」にあると、過去ではなく未来の人生の過ごし方こそが重要だと説いています。

どの話も武家としてきれいに生きるということを土台にして、いろいろなエピソードが語られています。率直に言って、市町村議員、都道府県議員、国会議員などの職に就いている人にも読んでもらいたいと思いました。自分を犠牲にしても人に尽くす気持ちを、これらの人達に今以上に持ってほしいからです。自分のために議員をやっているように見えてしまう人が目につく今の日本です。

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簡単・最近読んだ本の紹介「エレジーは流れない」三浦しをん著(双葉社)

三浦しをん著(双葉社)

大きな温泉町にある高校の男子グループが、大小の事件を通して友情を深めていく話ですが、主人公の複雑な家庭環境の謎解きも加わっていて、最後まで楽しく読めました。

僕が一番に心を惹かれたのは、男子グループ内での会話のほとんどが「言われた人の気持ちを気にしないで、思ったことを何でも言葉にしてしまう」ことです。振り返れば、こういうことが出来るのも学生時代までかもしれません。だから、お互いに垣根を作らない友達関係は読んでいて眩しかったです。素直に「いいなー。自分も昔もこうだった」と振り返りながら、何が自分達の友達関係を変えていったのだろかと一瞬思いをめぐらせてから、「自分達は良くも悪くも大人になって、友達とはいえいろいろ気をつかうようになったのだ」とすぐに気がつきました。

それから主人公が駅前の商店街にある土産物屋の息子で、グループの中に近所の干物屋や喫茶店の息子もいる関係から商店街の助け合いが頻繫に書かれています。
その中で終盤に書かれている「迷惑のかけあいが、だれかを生かし、幸せにすることだってありえる。少なくとも、だれにも迷惑をかけまいと一人で踏ん張るよりは、ずっと気が楽なのではないか」という言葉は個人主義に徹するのではなく、お互い様なのだから、もたれかかれる背中があるなら時には遠慮しないでその背中を頼るのもありだという、著者の三浦さんの人生観に触れた気がしました。

かつての日本の地域社会が持っていた、近所や町内会の人との良い距離での繋がりが、これからの日本社会の新しい活力になるのではないかと思いました。そこでは能力に関係なく誰もが善人でなくてはならないでしょうけど。

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簡単・最近読んだ本の紹介「青春とは、」姫野カオルコ著(文藝春秋)

姫野カオルコ著(文藝春秋)

滋賀県の田園地帯にある県立高校に通っていた、今は還暦の主人公による当時の思い出話です。
その高校はそれなりに進学校でもあったので、校則のほとんどない自由な校風の男女共学校でした。そのため個性的な生徒を懐深く受け入れていて、「1970年代といういうのはそういう時代だったな」と読みながら懐かしく何度も共感しました。

著者の姫野カオルコさんの何とも言えないユーモアにあふれた書き方に、何度も大声で笑ってしまいました。あんまり面白いので近くにいた妻に「ここ読んでみて、笑えるから」と読ませて、二人で何回か笑い合いました。

それから、その当時の事件や流行った物やアイドルスターなどが時々出て来るので、読みながらだんだんと1970年代に気持ちが戻って行く感じになって、自分もこの高校の生徒になったような気分で読むことが出来て楽しかったです。

男友達の相沢君がギター教室に通っていて、その習っていた教室が一人の生徒のを使っていたことを話すのに「なんと、***さんので習ってたんですよ!」言った時、「なんと、を付けて明かすようなことか」とその場にいた人にすぐ言われた話はしみじみと笑えました。
あの頃は世の中全般に不思議な生き物やUFOの話がたくさん出回っていて、テレビのバラエティー番組でも司会者がこの「なんと」をよく使っていたことを思い出したからです。「なんと」1970年代が最も盛んに使われた時代だったかもしれません。

保健室の若くて化粧の濃い先生と、学校中で人気があるサッカー部のエースとの関係を疑っている先輩の女子達に、そのサッカー部のエースから冗談半分に「クララ」と可愛く呼ばれているという理由だけで、その彼に保健室に入り浸らないように忠告することを命令された話も面白かったです。
先輩女子達はサッカー部のエースが好きなので、用もないのに保健室に行く彼のことが我慢できないのだけど、自分達から彼にそのことを注意するのは自分達が彼に好意を持っていることがばれてしまって恥ずかしいので、下級生の主人公に彼への忠告を命じるところは当時の高校生らしさがあって笑えました。
そして、その先輩女子達がサッカー部のエースから「クララ」と呼ばれている主人公に、恥ずかし気もなく嫉妬心を見せてしまうのは、正直な若さがあって微笑ましいです。

1970年代が持っていた、何とも言えない社会の雰囲気が懐かしく思える人や、青春小説が好きな人にはお勧めの本だと思いました。

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簡単・最近読んだ本の紹介「優雅なのかどうか、わからない」松家仁之著(マガジンハウス)

雑誌の編集者で離婚したばかりの40代後半の男性と、30代で独身の元恋人が、吉祥寺のデパートに入っているそば屋で偶然の再会するところからこの小説は始まります。主人公の男性は離婚をきっかけに井の頭公園近くの築50年の家を借りて住むことになり、偶然に再会した元恋人の女性も近くに住んでいることがわかったことで、友人として二人の付き合いが少しずつ進んでいきます。実はその女性は父親と二人で暮らしていました。
女性が主人公の家にいる時に同居の父親が心筋梗塞で倒れたため、二人で父親を病院に運んだり、退院時のサポートを主人公以外に頼める人がいなかったことで(父親を抱きかかえるなどは男性の腕力が必要で)二人の距離は縮まっていきます。

元恋人の女性はベリーショートの髪型の似合う人で、理知的でありながら細かい気づかいができ、そしてデザインの仕事をしているといった、かなり魅力的な女性に書かれているところがこの小説を面白くしている大きな要因だと思いました。彼女の女性としての魅力が主人公の復縁への気持ちを少しずつあおっていくところは、僕にもわかる気がしました。

一度は離れた二人が偶然の再会から少しずつ親密になっていく様子は、大げさですが小説を読む醍醐味を感じてとても楽しく読めました。それは、映画などの映像表現で表現しきれない言葉の力だと思います。

お互いの家が近いことや、主人公がもう離婚していることから二人の距離は少しづつ縮まって恋人の関係に戻ったことで、終盤で主人公は女性と女性の父親と三人で暮らすことを真剣に考えるようになります。そこに少子高齢化社会の問題が少しずつにじみ出てくるところも、この小説の読みどころの一つになっていると思います。ただ主人公は小説の中では女性との「再婚」という社会制度について具体的に考えていません。そのことが益々問題を複雑にしてしまうため、同居はしても家族にはならないことを今後も続けることになるのかわからないままです。自分もやがて老人になる事を考えると家族になったほうが心強いとも思いますが、こういう考えは醜いエゴかもしれません。

その中で気になったのは、恋人の女性はまだ30才代なのに、彼女からは最後まで結婚願望が全く見えないことでした。年老いた父親を引き取って暮らし始めた時から結婚を諦めたのかもしれませんが、小説の中ではそのことは言及されていません。ただ主人公が彼女の現状に対して以下の様に思いを巡らせる箇所があります。
『三十代の半ばの前途洋々たる独身で、認知症の父親とのふたり暮らしをつづけるーそう決めて毎日をおくっているとしたら、それはどうしてなのか。血をわけた父と娘には「どうして」という疑問の余地などないものなのか。だんだん、わからなくなってくる。』
現実的には、正解のない難しい問題だと思います。

親の介護のために結婚を諦める人がいることを問題にした報道を少し前に見ました。
僕は介護を優先させなければならないというのは、それぞれの残りの人生の長さを考えた時に少し問題があるように思います。でも、理屈だけでは割り切れない親子の情もあることもわかります。本当に、当事者にとっては難しい問題だと思います。低価格で質の高い介護サービスの提供というのは難しい問題で、政府が解決しなくてはいけない優先順位の高い課題だと思います。

人間について面白い考察が書かれていましたので紹介します。
「人間はそもそも、相手がほんとうはなにを考えているのかわからないのだ。たとえキスをしていたとしても、抱きあっていたとしても、わからない部分は残る。ことばを使ってものを考え、ことばで伝えるようになってから、つまり人間が人間という風変わりな生きものになってから、伝わるものが伝わらなくなった、と言えないだろうか。」
確かに現代人も現代社会も複雑さがどんどん増して、人間はある意味で難しい生き物になってしまったように僕も思います。その場の雰囲気を読むことの大切さは、これからますます重要になっていきそうです。

この小説は中年男女の恋愛小説ですが、親の介護一人暮らし老人の急増、取り残されそうな古い住宅などの現代の少子高齢化社会の問題が具体的に書かれているところが、この小説の新しさかもしれないと思いました。。

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簡単・最近読んだ本の紹介「ショートソング」枡野浩一著(集英社文庫)

桝野浩一著(集英社文庫)

歌人の桝野浩一さんが書いた小説ということで、「短歌」が話の中心にあります。
短歌を英訳した「ショートソング」というタイトルがそのことを表しています。
主な登場人物は、二十歳の時に短歌の大賞を取ったけどその後はぱっとしないプレイボーイの伊賀寛介(25歳)と彼の恋人で大学生の須之内舞子、そして、須之内舞子の大学の後輩で日本人とカナダ人のハーフの国友克夫です。伊賀寛介と須之内舞子は同じ短歌結社に所属していて、須之内舞子がその短歌結社の集まりに国友克夫を連れていったため、伊賀寛介と国友克夫の短歌と複数の女性を挟んだ少し変わった交際も始まります。

この小説は国友克夫と伊賀寛介が、一話ごとにそれぞれといった一人称で自分の心の内を語っていくといったスタイルで構成されているところが面白いです。(一話は短い)

全体的には青春恋愛小説短歌の世界観を注入したような話ですが、短歌という芸術の持つ自由で深い所を表現する手段として、著者は性的な描写を多く用いています。僕にはそれが多すぎるように感じました。

僕はは青春の深層心理の中で、人と人はどういうふうに繫がって離れていくのかを、登場人物たちの心の交流の中に読みたかったです。しかし、性の中に真実が隠れているという考え方もあるので、このあたりは意見の分かれるところだと思いました。(男女の付き合いに性的なものが付いて回ってしまう難しさがあるからです)
それは理性と本能という問題でもあると思いますが、僕のような凡人にはそこから先の答えを導き出す能力は残念ながらありません。

話の中に登場人物たちが作った短歌がたくさん出てくるので、短歌に興味があったり好きな人には楽しく読める小説です。全て、青春時代の短歌なので、若い読者には心に響く歌があると思います。

この小説の主な舞台は東京の吉祥寺で、その吉祥寺のカフェや喫茶店がとてもたくさん出てきます。書かれたのが2006年なので今では無くなってしまった店もかなりあると思いますが、吉祥寺という街が青春の舞台としてよく合っていることを改めて感じました。(2006年当時に吉祥寺によく行っていた人は店の名前に、懐かしくくてノスタルジーを感じてしまうことでしょう)
たぶん吉祥寺の若者文化が始まったのは50年くらい前ではないかと思いますが、大学生などを中心に多くの若者の出会いと別れ青春ドラマが繰り広げられた街でもあるので、そんなことを思い浮かべながら僕は読みました。(近くに、井の頭公園という素晴らしい公園もあるし、その入り口には安くて美味しい有名な焼き鳥屋さんもあります)

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